昨日、某ヨーロッパのジャーナリストからインタビューを受けました。日本のメディア報道や政府の対応に非常に懐疑的な方で、日本の対応批判の記事を書きたいのだそうでした。
「毎日患者の総数を報道して何になるの?」
という彼の御指摘はごもっともです。一番どうでも良い、価値のない情報が一番トップに出てくるのです。情報の質的吟味が乏しいのでしょう。
ところで、ぼおっとしているうちに、米国ではすでに新型インフルエンザの死亡者が27人になっています。
日本でこの病気、1人でも死亡者が出たら大騒ぎだと思いますが、例えばNYタイムズでも地方版のニュースになっています。まあ、アメリカ人はあまり新聞を読まないので、テレビのほう、それも派手なFOXならどうかな、と思いましたが、その死亡報道も地味な感じです。
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僕はNYタイムズの記者にアメリカで取材を受けたことがありますが、本当に向こうの記者の取材は緻密で、問題の根っこまで掘り下げるという感じです。日本だと、やはり速報重視で、表面的な吟味しかされていないのがほとんどです。だから、「今回の政府の対応は間違っていたんじゃないんですか」といった、答えようのない質問が為されます。では、何のどこが失敗で、代わりにどのようになっていれば成功と呼べるのか、そのような論理構造の吟味をしないと、いけないのだと思います。
「アメリカの新聞を読めば謎が解け、日本の新聞を読むと謎が深まる」と僕がよく揶揄するのはその為です。このへんは、上杉隆氏の「ジャーナリズム崩壊」幻冬舎新書にも詳しいです。
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では、騒がないアメリカが正しいのか?というとそれもどうかな?と思います。アメリカも結構ジャンピーでヒステリックな国です。例えば、5人の死亡者に留まった(つまり今回のインフルより犠牲者が圧倒的に少ない)バイオテロ(炭疽菌)のときはもう大変取り乱しちゃってうろたえちゃって、、、でした。
もちろん、患者や死亡者の数だけではメディアの提供できるインパクトは違うでしょう。いくら季節性インフルエンザが毎年何千、それ以上の死亡者を出していてもそれは「犬が人を噛む」所業で、報道価値はありません(問題としての価値がないという意味ではありません)。細菌性髄膜炎や急性喉頭蓋炎で毎年子どもが死んでいても、そう扱われているのかも知れません。10年前からの10億円の借金は苦痛が小さく、昨日借りた10万円はインパクトが大きいのです。
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では、アメリカで27名が新型インフルで死亡したのは「しかたのない」ことだったのでしょうか。
結構批判される、休校措置ですが、実は流行の押さえ込みに有用だったのでは?という報告も最近為されています。
新興感染症では不明確な部分が多いため、既存の知識や既存の感染症のアナロジーが役に立つかは分かりません。「アメリカやイギリスが違うから」日本が間違っている、というロジックには要注意です。
何が過剰な反応で何がそうでないかも、表面的にエンピリックに判断するのも困難です。
1971年のボストン赤潮事件や1997年の香港のH5N1でも、その対応は当初「過激」と言われたものですが、封じ込めに成功して後年高く評価されたのでした。行政がのんびりしているとアウトブレイクが抑えられなくなるのもまた事実で、それは1990年代のペルーにおけるコレラや、英国でのvCJDという事例が教えてくれます。
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